はじめまして。TINY COFFEE ROASTERのたいにぃでございます。コーヒーの仕事を始めて10年ほどになります。バリスタから始まって焙煎や商品開発、バリスタトレーニングまで経験させていただきました。
小さいときから何かを作るのが好きで、テレビで見たロボコンをきっかけに、学生時代はロボットにのめり込みました。ガンダムよりもお茶の水博士みたいな作り手に憧れる、そんな子供でした。構造や仕組みへの好奇心が止まらない超理系人間です。
高校か大学くらいから日常的にコーヒーを飲んでいましたが、もっぱらカフェで飲んでいました。最初の出会いはたぶん映画だったと思います。「遠い海から来たCOO」というアニメをご存じの方はいらっしゃるでしょうか。その映画の中でコーヒーを淹れるシーンがあるのですが、そのシーンの雰囲気なのか空気感なのかわかりませんが、子供ながらに「ときめいた」のを今でも覚えています。
それを真似して淹れたのがたぶん人生で最初のコーヒー。四角い箱のアンティークみたいなミルでコーヒー豆をガリガリ挽いていました。当時のコーヒーは冷めるとホントに酸っぱくて、とても飲みにくかったのですが、そうならないためにはどうしたらいいか、なんてことを考えて試行錯誤をしていた記憶があります。
それから月日は流れ、再びコーヒーを淹れるようになるきっかけに出会ったのは、十数年もたってからでした。当時、システムエンジニアとして働いていましたが、エンドユーザーのリアルな反応が欲しくて転職を考えていた頃でした。仕事に疲れて、某チェーン店でいつものようにラテを頼んだときでした。ラテアートを描いていたんです。それもひけらかすようにではなく、見えないところでこっそりとやってて、蓋をして出されたときに、「あぁこういうのもいいなぁ」って、また「ときめいちゃった」んです。
もちろんそれがホスピタリティだったのかただの練習だったのかはわかりません。だけどお客様の知らぬところで心を込めるなんて素敵じゃないかと興奮したんです。…当時の仕事への向き合い方が透けて見えますね…。
転職してしばらく、イタリア、西海岸、フランス、ニューヨークと…いろんなスタイルのコーヒーを経験しました。どのスタイルにも確かな良さがあって、自分でそれを表現できるようになるたびに「コーヒーはなんて自由なんだ!」…なんて、叫んだりはしませんでしたが、感動したのは確かです。だからいま強く思うのは、コーヒーなんて自分の好きなように淹れたらいいってこと。至高の一杯は自分の中にしかないんですから。
その後、ヘッドバリスタまで経験したのち、焙煎所の立ち上げに携わることができました。焙煎量は月間1.5~2トンの店舗併設としてはぼちぼちの焙煎所です。そしてそこで、人生を変える出会いがありました。
言葉は悪いですけど、第一印象は「いぬか!」でした。本人はそうでもないと言いいますが、とても鼻の利く人でした。お隣が商品開発部だったので新メニューの試食をさせていただくことも多く、そのときそのお料理に何が入ってるか言い当てちゃうんですから。でもボクは、その人が見ている風景を一寸たりとも覗くことはできませんでした。
世の中には理屈だけでは見ることさえ叶わない世界があるのだと、痛感させられました。これまで絶大な信頼を置いていた理屈脳では太刀打ちできなかったからです。見えるやつには普通に見えてるけど、見えないやつには全く見えない。そんなのもう幽霊みえてるやつじゃんか、と。
このときからです。頭で考えるのを止めて、身体を通してコーヒーと向き合うようになったのは。そしてそれは今も続いています。いま見えているものがいまの自分の限界で、それ以上はどう頑張っても見えないんです。だから、いま自分が感じられるものを大事にしています。でもそれを続けるうちに、今まで見えていなかったものが突然見えるようになって、そのたびに、あの「ときめき」が蘇って、嬉しくて小躍りしたくなります。
毎日同じことの繰り返しだと、そう思っていたけれど、同じように見えてるだけで実は、もっと深いところを観ているんです。コスパ重視の現代では、無駄と言われるかもしれませんが、繰り返さなければ見えるようにならないモノがあって、それは見えない人には見えない幽霊みたいなもんです。そうやって、同じように見えて実は同じではない毎日の繰り返しのなかで、いつか来る小躍りを愉しみに、コーヒーを焼いています。
最近は、水彩絵の具で色づくりにはまってます。これもまた身体の世界。愉しい。
あ、それと、ちっぽけな焙煎所をネットにオープンしました。上の「コーヒー豆のご注文」から覗けます。どうぞよろしく。